掲題は俳句風に読んで下さいね。
AIは便利で頼れるツールになりつつありますが、その一方で「過信」には危うさが潜んでいます。新聞やネットで「AIが神の視座を持つ」「AIが人の意思決定を支える」という表現を見かけるたび、私たちは無意識に「AIが正しい」と思い込んでしまいがちです。生成AIの進化は、情報の集約・要約・提示を超えて、意識形成や世論誘導にも影響を及ぼす可能性があります。さらに、RAG(検索拡張生成)のような仕組みは、社内データや強化データベースを組み合わせ、私たちが目にする情報の「質」と「方向」を変えつつあります。本稿では、AI過信のリスクを「神の視座」的表現、ハルシネーション、不確実性、そして民主的判断という観点から整理し、どのようにAIと向き合うかを考えます。
1:AIへの過信とそのリスク
個人的な意識としてAIの判断を利用して人民が支配されていくのは不快です。そうした意識を持っているので業務の中でAIを活用しつつハルシネーションをいつも意識して作業を進めています。AI(AIエージェント、生成AI)を使っていて常に感じる緊張感。自分の意識が変わっていく快感、自分の能力が拡大していく満足感もありますが「それが過信にすぎない。」と感じる感性も大事ではないでしょうか?そして、政治がらみの話。何となく頼りに出来ない政治家を見ていてAIが各人の意識を変えていけたらいいなと私はいつも思っています。
たとえば、AIとの対話の中で現状を知り色々なWebの情報を得てSNSを含めた仕組みで対象意識が形成されていく様子はある健全に思えてしまうのです。これはあくまで個人的な意見であると明記しておきます。そんな私が人間の方向性として「神の視座」という表現を見て「ギョッ!!」とした訳です。
AIの活用の中で「個人的な判断」が盛り込まれたうえで作業が進んでいるのでしょうか?実際の話、新聞関連の人間はエリート層に属すると思えます。そんな人々の意識とその関連人物からなる調査がどの程度意味を持つのでしょう?「有権者の心の声」を客観的に代弁していくと考えていいのでしょうか?
1.1:「神の視座」的表現の危うさ
新聞の紙面に『AIが導く「神の視座」』という表現があり、危機感を覚えたからです。なんだか冗談ではない。酷い時代だって気がしてしまいました。たまらない気分になりません?
しかし実際にはAIは統計モデルにすぎず、万能でも全知でもありません。にもかかわらず「神の視座」という表現が人々に権威性を印象づけ、判断の外部化を促してしまう危うさがあります。
1.2:ハルシネーションと誤信誘発
AIが時に事実と異なることを自信満々に答える「ハルシネーション」問題は有名です。これはユーザーに「AIが正しい」と思わせ、誤った判断を下させるリスクをはらみます。複数ソースを確認するなど、人間側の工夫が不可欠です。
1.3:意思操作・誘導の可能性
SNSの推薦アルゴリズムやターゲティング広告が人の心理に影響を与えるように、生成AIやRAGも質問の仕方や提示の仕方によって人の意識に影響を与える可能性があります。情報の透明性や説明責任がますます重要になります。
AIは知識の補助であって、最終判断の主役にはなれません。「神の視座」的な表現に流されると、ハルシネーションや意図的誘導のリスクにさらされます。AIの出力を「材料」として使う意識を持ち、複数ソースで検証する姿勢が不可欠です。
2:不確実性と情報の重み
そして、もう一方で出てきていた視点がスコットベーカー氏ら米国の経済学者が開発している「不確実指数」という指標です。日経記事では不確実指数をグラフ化して1997年から2025年に至るまでどんどん不確実性が高まっている表現を一面に大きく表示していました。そのグラフを割って書かれたていたのは「神の視座」という言葉です。不確実だからAIを使って方向性を定めなければいけないのは確かです。
ただ、個人的には民主主義の方向性として意思決定に関わる部分で一抹の不安を覚えました。あくまで日経側の分析は「発議」ととらえて何ができるか考えていこうという立場も取れますが怖い。。。不確実指数はOpenAI,Gemini,Grok、MetaAIが登場して若干下がり、トランプ政権の大統領選勝利の時点で急拡大しています。
むろん、公正な分析も多分に行われていてネットの利用者の若年層の割合が高いことも含めて議論していました。また日経での作業なのでAIには日経新聞を学習させてニュースへの理解を深めています。選挙が行われれば出口調査との相関も議論していくでしょう。
ここでもう一度唱えます私。「♪AIを♪過信するのはNGで♪利用するのは有意義です♪」でもね、、、情報弱者はこの作業に意見を盛り込む余地が少なく、「どうせ意見がないのでしょう?」と思われて終わりの気がします。
心理学的な学習をどんどん含めてはいくでしょうが、今の日本の直接民主制と情報を作り出し、分析していく中での作業が進んでいます。本当に有権者の心の声が反映されているのか、何度も考え直す必要があります。ネット上から言葉を沢山拾ってきて学習をする日経のAIには一定の敬意を払います。
好感が持てる道具だと思えます。AIが作った仮想の世論が今後、どういった意味をもってとらえられて社会で使われていくか分かりませんが、AGI(超人工知能)が実現されようという今の時期に、どのように日経製AIが活躍していくか楽しみでもあります。そして、♪AIを♪過信するのはNGで♪利用するのは有意義です♪と唱えながら危機感も持ちましょう。
出来ることなら「日経製AIをいくつか作って総選挙」を行ってほしい。
人間が判断する材料が少しでも増えてほしい。
2.1:「不確実指数」の文脈
RIETI(経済産業研究所)が紹介するように、不確実性指数は経済や政策、社会の揺らぎを示す指標です。世界が不確実になるほど、私たちは「確かな答え」を求めがちになります。
2.2:AI が不確実性を削減する期待と錯覚
AIは多くの情報を処理し、見通しを示してくれるため「不確実性を減らしてくれる」と感じます。しかし、AIもまた不確実な情報に基づいて動いています。あくまで「参考値」にすぎません。
2.3:技術信仰と判断の錯誤
技術への信仰は判断をゆがめます。特に情報弱者やリテラシーの低い層は、AIの答えを唯一の真実と誤認しやすいという調査結果もあります。
不確実性が高まる社会で、人は安心を求めてAIにすがりがちです。しかしAIは万能でも確実でもありません。多様な視点を持ち、批判的思考を働かせることが、AI時代における判断のゆがみを防ぐ最善策です。
3:民主主義・意識形成とAI介入の境界
現実の国政で選挙権がありながら投票に行かない人々の居るのが現実だから、日経製AIの総選挙でも日経読者の論調とは違う視点の「人の判断」があってほしい。と思います。選挙に行かなくても国民です。
もっといえば、情報弱者も国民です。近隣に住む「おばあちゃん」も国民です。引きこもりのゲーマー(偏見があったら失礼!)も国民です。フェースブックを使わなくても、Xを使わなくても国民です。
日経製AIにはそうした国民の声をくみ取る可能性があると思えます。その意味で私はとても楽しみでもあります。構えていますが楽しみです。
3.1:意見形成の代替と補助
AIとの対話で自分の考えを整理することは有益です。しかし、AIに考えを「委ねる」ようになると、意見形成そのものがAI主導になってしまいます。
3.2:情報弱者と声なき人々
インターネットやAIにアクセスしづらい層が、世論形成の過程から取り残される危険があります。民主主義に必要なのは多様な声を拾う仕組みです。
3.3:日経製AIと“仮想世論”の可能性と限界
日経新聞などが試みる「仮想世論」やAIシミュレーションは興味深いですが、それが「現実の民意」と混同されると危うい側面もあります。
民主的判断には多様な声と主体的判断が不可欠です。AIはあくまで補助線であり、主導権を任せると“仮想世論”に流されかねません。情報弱者の声を取り込む視点やAI設計の透明性が求められます。
参考:論点・危うさ・対応視点(一覧表)
論点 | 危うさ | 対応視点 |
---|---|---|
神の視座表現 | 判断の盲従化 | 文脈限定・批判的検討 |
ハルシネーション | 誤信誘発 | 複数ソース検証と懐疑姿勢 |
意思誘導 | 心理操作リスク | 説明責任・透明性確保 |
不確実指数 | AI依存心理の後押し | AI過信を抑える制度的補助 |
情報弱者 | 声を失う危険 | 包摂的設計と教育保障 |
仮想世論 | 社会判断のゆがみ | AI設計と公開ルールの整備 |
全体まとめ
生成AIやRAGの進化は私たちの生活を大きく変える一方、過信や誘導の危うさも増しています。「神の視座」的な表現に惑わされず、ハルシネーションや不確実性、民主主義への影響といった課題を冷静に見つめることが大切です。AIを「道具」として使いこなしつつ、自分自身の判断力と多様な視点を持ち続けることこそ、これからのAI時代を生き抜くための鍵になります。
〆最後に〆
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