生成AIを巡る議論は、しばしば「モデル性能」や「業務効率化」に収束しがちである。しかし本稿では、あえてそこから一歩引き、AIがどのような思想的・技術的生成過程を経て現在の姿に至ったのかを一つの流れとして整理する。起点にはSNS的知識共有構想「Moltbook」があり、そこから人間観の転換としての「甲殻類主義」、さらにGoogleの論文「Attention Is All You Need」、最終的にはRailsによる実装という具体的工程へと接続していきます。AIと人とのかかわりを考えてみましょう。そしてAIの進化です。
第1章 Moltbookという構想 ― 知識が脱皮するSNS的生成環境
本章では、従来のブログやSNS、さらには学術論文とも異なる知識生成モデルとして構想された「Moltbook」を起点に、知識が固定されず、生成と更新を前提として循環する環境の意味について整理いたします。
Moltbookは、単なる新しい投稿プラットフォームを指す言葉ではありません。それは、知識を「完成させて公開するもの」とみなしてきた従来の前提を問い直し、生成AIの時代における新たな知的インフラの在り方を示す構想であると位置づけられます。
Moltbookの思想的背景 ― 「完成しない知」を前提とする発想
Moltbookとは、知識や思考を完成品として提示するのではなく、下書き、修正、追記、再解釈、さらには反論に至るまでのプロセスそのものを可視化・蓄積することを目的とした構想です。
名称の由来である molt(脱皮) が示す通り、ここで想定されている知識は、一度確定して保存される静的な対象ではありません。むしろ、環境や対話との相互作用によって、段階的に姿を変えていく流動的な存在として捉えられています。
このような発想の背景には、いくつかの思想的潮流が重なっています。
第一に、ポスト構造主義以降の知識観です。知識は常に文脈に依存し、語られるたびに再構成されるという考え方は、フーコーやデリダ以降の思想において繰り返し論じられてきました。しかし、従来のメディア環境では、その前提を社会的に実装する仕組みが十分に整っていませんでした。Moltbookは、この理論的知見を技術と運用のレベルで具体化しようとする試みであると捉えられます。
第二に、オープンソース文化の影響が挙げられます。ソフトウェア開発の世界では、未完成のコードを公開し、他者のレビューや改変を受けながら成熟させていくことが一般的です。Moltbookは、この「未完成を前提とした協働モデル」を、知識生産全般へと拡張した構想であると言えるでしょう。
そして第三に、生成AIの登場が決定的な要因となっています。生成AIは、一度で最適解を提示する存在ではなく、プロンプトの修正や対話の反復を通じて応答を洗練させていきます。Moltbookは、この生成プロセスそのものを人間の思考活動と重ね合わせる思想を前提として成立しています。
提唱主体について ― プロダクトではなく思想的構想としてのMoltbook
現時点において、Moltbookは特定の企業や公式団体によって提供されている完成済みサービスではありません。むしろ、生成AIを思考補助として日常的に活用している個人や、小規模な知的コミュニティの間で共有されつつある概念的・思想的構想と捉えるのが適切です。
その中心にいるのは、大規模SNSの運営者やテック企業の経営者ではありません。
主に以下のような立場の人々が、この構想を言語化・評価しています。
生成AIを用いて執筆・研究・分析を行うブロガーや実務家
学術知と実務知の断絶に問題意識を持つ研究者
人間とAIの協働を、UIや制度設計の観点から考える開発者
彼らに共通しているのは、「完成された成果物」よりも、「そこに至る思考の履歴」こそが価値を持つ場面が増えているという実感です。Moltbookは、その実感を一段抽象化し、知識生成の新しい公共圏モデルとして提示した構想であると整理できます。
従来型メディアとの決定的な違い ― 未完成を制度として許容する設計
従来のブログ、SNS、論文はいずれも、形式上は自由な発信を許容しているように見えますが、実際には一定の完成度を前提とした評価構造を内包しています。
ブログには「明確な結論」が期待されます
SNSでは「即時性」と「断定的表現」が拡散に有利に働きます
論文では「完成された論証」が不可欠とされます
これらはいずれも、思考の途中段階や迷い、修正の痕跡を残しにくい構造を持っています。
これに対してMoltbookは、未完成であること自体を価値として制度化する点に特徴があります。
書きかけの思考、後から誤りに気づいた修正、生成AIとの対話ログ、他者からの反論や追記――それらすべてが削除されるべきノイズではなく、知識が脱皮していく過程の記録として保存されます。
この意味でMoltbookは、「発信の場」というよりも、思考の履歴を共有する生成環境であると言えるでしょう。
イーロン・マスクとの思想的親和性 ― 直接評価ではないが重なる問題意識
なお、イーロン・マスク氏が「Moltbook」という構想や名称を直接評価・言及した事実は、現時点では確認されていません。この点は明確にしておく必要があります。
しかしながら、マスク氏がこれまで繰り返し発言してきた内容には、Moltbook的発想と強い親和性が見られます。
例えば、彼はX(旧Twitter)買収後、「完成された結論よりも、議論や思考の過程が可視化される場の重要性」や、「アルゴリズムによる断定的意見の増幅」への懸念を度々表明してきました。
また、生成AIに関しても、AIは単なる回答生成装置ではなく、人間の思考を拡張し、問いを深めるための存在であるべきだという立場を取っています。これらの問題意識は、知識を固定せず、生成と更新を前提とするMoltbookの思想と重なります。
そのため、Moltbookは「イーロン・マスクが支持した構想」と言うことはできないものの、彼が批判してきた既存SNSの限界に対する一つの思想的回答として位置づけることは可能でしょう。
評価と共鳴 ― Moltbook的発想を支持する人々
Moltbook的構想は、特定の著名人よりも、むしろ現場の実践者から支持を集めています。
特に、生成AIを日常業務に組み込んでいる実務家層は、AIが一度で正解を出さないこと、対話と修正を通じて思考が深まることを経験的に理解しています。そのため、「完成稿のみを残す文化」に対する違和感は強く、Moltbook的環境を自然に受け入れています。
また、教育・研究分野においても、学生や若手研究者にとって本当に有益なのは完成論文ではなく、そこに至る試行錯誤であるという認識が広がりつつあります。Moltbookは、その過程を社会的に共有可能にする点で高く評価されています。
小括 ― Moltbookは「知の完成」を前提としない時代の装置である
Moltbookは、単なる新サービスの名称ではありません。
それは、知識は完成させるものだという近代的前提を相対化し、生成と更新を前提とした環境へ移行するための思想的装置であると位置づけられます。
生成AIが普及した現在、人間に求められる役割は、正解を即座に提示することではなく、問いを育て、思考の履歴を編み続けることへと移りつつあります。
Moltbookは、その変化を最も率直に受け止めた構想であり、次章で扱うAIとの対話ログや生成過程の保存という議論への、重要な基盤を成しています。
第2章 甲殻類主義 ― 人間は固定的主体ではない
ここでは、Moltbookの背後にある人間観の転換として「甲殻類主義」を取り上げ、人間とAIの関係を再定義する。
甲殻類主義とは何か
甲殻類主義とは、人間を「内面が固定された存在」ではなく、「外部環境に応じて殻を変える存在」として捉える比喩的概念である。言語、役割、専門性、人格さえも状況依存で更新される殻に過ぎないという視点は、AI時代の人間像と強く共鳴する。
生成AIが可視化した人間の可塑性
生成AIは、人間の思考がいかに文脈依存で、重み付けによって成立しているかを露わにした。甲殻類主義は、この事実を哲学的に受け止める枠組みであり、人間とAIを対立させるのではなく、同じ生成過程の中に位置づける。
第3章 Attention Is All You Need ― 重みとしての知性
本章では、2017年にGoogleが発表した論文「Attention Is All You Need」を取り上げ、生成AIの中核構造であるAttentionの意味を解説する。
Attentionとは何か
TransformerにおけるAttentionとは、入力要素同士の関係性を数値化し、どこにどれだけ注目するかを示す重み行列である。これは人間の思考における「重要度判断」を数学的に実装したものと理解できる。
Multi-Head AttentionとPositional Encoding
Multi-Head Attentionは、複数の視点で同時に関係性を評価する仕組みであり、文法的・意味的・位置的関係を並列に捉える。一方、Positional Encodingは順序情報を数値的に付与することで、文脈の流れをモデルに理解させる。この二つの仕組みは、人間の読解プロセスに極めて近い。
第4章 Rails実装 ― 生成過程をシステムとして固定する
最終章では、これらの思想と技術をRailsアプリケーションとして実装する意義を考察する。
生成AIを呼び出すだけでは不十分な理由
APIを叩くだけの生成AI活用は、生成過程をブラックボックス化する。Railsによる実装では、プロンプト、応答、修正履歴をモデルとして保存し、生成の軌跡そのものを扱うことが可能になる。
Moltbook的AI基盤としてのRails
RailsはCRUD思想を通じて状態遷移を明示化する。これはMoltbookの思想と親和性が高く、生成AIの応答を「脱皮の履歴」として管理する基盤となる。ここにおいて、思想・モデル・実装は一本の生成過程として結実する。
結語:
Love、Attention、そして生成過程。半世紀を隔てた二つの「All You Need」は、人間と技術の関係が常に生成の途中にあることを示している。本稿はその一断面に過ぎないが、AI時代の思考環境を再設計するための一つの試論として提示したい。
