SNSの信頼性が揺らぐ中、ウィキペディア創設者ジミー・ウェールズ氏は、新たな集合知型SNS「トラストカフェ」を通じて、情報の健全な流通を目指している。一方、旧Twitter(現X)のイーロン・マスク氏は、その思想を「うさん臭い」と一蹴。二人の思想的対立は、テクノロジーと人間の信頼のあり方を浮き彫りにしている。オープンな知識共有の可能性とは何か?対立の構図とその背景を紐解く。
ウィキペディア的思想とは何か──「多くの知識」が真実を生むという信念
ウェールズ氏の思想の核は、「多くの人の知識を寄せ集めることで、真実に近づく」という集合知の信念にある。実際、ウィキペディアでは一本の記事に平均180回の修正が加わるという。これは、知識が一方通行でなく、相互の修正や検証を通じて進化していくという考え方だ。そうした思想は、新たなプロジェクト「トラストカフェ」にも受け継がれている。
トラストカフェの挑戦──民主的SNSの可能性
トラストカフェは、ユーザー同士の投票によって投稿の信頼性が評価され、信頼度の高いユーザーが運営にも関わるという参加型SNSである。これは、既存SNSに対する不信──フェイクニュースや偏向的なアルゴリズム運用──への明確なアンチテーゼだ。ユーザーがプラットフォームの質を共同で保つという構造は、SNSの未来に一石を投じている。
イーロン・マスクの懐疑──「集合知」への反発とウィキペディア批判
一方で、イーロン・マスク氏は、こうした集合知の発想に強い懐疑心を示している。彼にとって、多数の意見が集まることで「正しさ」に近づくという発想は「うさん臭い」ものであり、信頼できるものではない。彼は、非営利で運営されるウィキペディアに対して「なぜそんなに寄付を欲しがるのか」と皮肉交じりの批判を繰り返している。この価値観の違いは、情報社会における“真実”の定義そのものを問う問題をはらんでいる。
増えるテクノロジーの誤作動──集合知が果たす「監視役」の役割
顔認証や自動運転など、最新テクノロジーの事故や誤作動が急増している。こうした背景のもと、AIインシデントデータベースのような集合知的取り組みは、誤りの記録と再発防止を目的として社会的意義を増している。興味深いのは、こうした取り組みに参加する人々の多様性である。中世文学を専門とするダニエル・アサートン氏のように、専門外の人々もAIと向き合う姿勢が、集合知の本質を象徴している。
「うさん臭い」は誰の主観か──思想的対立が映す未来像
マスク氏の「うさん臭い」という評価は、中央集権的・技術主導の世界観と、分散的・民主的な知の世界観との根本的な衝突を象徴している。集合知は理想主義に過ぎないのか、それとも技術社会を制御するための現実的手段なのか──この問いに対する答えは、今後のテクノロジーの設計思想を左右するだろう。
結語:テクノロジーと信頼、私たちはどちらを信じるか
イーロン・マスクとジミー・ウェールズ。両者の対立は単なる個人間の応酬ではない。そこには、テクノロジーが支配する未来において、誰が情報の門番になるべきかという根源的な問いがある。私たちは、機械と人間、知識と信頼、どちらに軸足を置くのか。その選択はすでに始まっている。
(本記事は2024年の6月17日の記事を起点に記載しました)
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